日記やらあれやそれ

ぬるい頭の中。

必要なものとそうでないもの

ちょっとした長期休暇みたいなものを頂いたので、この機会に中々片付けられなかった部屋もといゴミ屋敷(初期)を綺麗にしよう!断捨離だ断捨離!身辺整理!ついでに終活も行おう!
そう息巻いていたのは凡そ一週間前の話で、今現在それが行われているかというと、殆ど行われていない。足の踏み場が少し拡まったぐらいで、つまり八割方駄目である。
元々から片付け掃除が大の苦手なので、なかなか重い腰が動かない予想はしていたが、こうも動かないとなると、もう僕の腰はクソでかい石臼なのではないかと我ながら呆れてしまう。
部屋を占める物の大体はゴミなので、それを捨てたらある程度スッキリすることには間違いないのだけど、問題はそこにあって、ゴミではないが必要でもない物が出てきてしまう。何年も着ていない、まだ着れそうな服。必要かと言われればそうでも無いけど、手放すのには惜しい古本や漫画の山。使用期限がとっくの昔に切れてる印画紙。等々。
断捨離なので、そういったものはゴミとして処理するなり、ゴミとして処理出来ないならばリサイクルショップで売るなりすればいいのだけど、それが難しい。なかなか手放せなかった結果が、このゴミ屋敷に繋がるので、どう考えても手放すべきなのだと分かってはいるけど、云々。と、堂々巡りを繰り返すわけである。まあまず必要のない捨てるべきゴミを処理するところから始めなければならないのだけども。

ところで、生命活動を送る上では必要のないものというのは結構あって、例えば芸術品や演劇などがそれに該当する。所謂、文化だ。ただ、そういった文化が日常生活を送る上で日々を彩っていることも確かで、それが無くなってしまったら、日々があまりにも味気ない、殺伐としたものになってしまうのではないかとも思う。でもって、日々を彩る文化が、殺伐とした日々を生き抜く為の心を支えにも一役買っている(と思っている)ので、それが無くなると、もう心が骨粗鬆症の如くスッカスカになって折れてしまうのではないかと危惧している。この危惧感にはかなり個人的な感情が反映されているので、もしかすると人の心はそこまで脆くはないのかもしれないが。僕だったら木っ端微塵に折れてる。それはもう完膚無きまでに。
ともあれ、生命活動を送る上では必要はないが、日常生活を送る上では重要な役割を果たしている文化が、これ以上蔑ろにされてほしくはないなあ、と思う。文化が消えてほしくない。文化に纏わる施設も。あと、そういった文化に携わる人々が、路頭に迷わないことも祈る。し、祈るも何も、我が身である。10万円の使い道も、もう少し考えてみる。

ゴミ屋敷(初期)と化している我が家の中で、比較的綺麗にしている(と思っている)スペースがあって、そういう場所に、自分にとっての宝物が置いてある。その宝物は、生命活動を行う上では必要のない物だけど、それを捨てることはきっと、死ぬまでない。